摺房 想恩畫斎

鳴海伸一版画制作工房の日々

版画における「見えない時間」

どんな業態のお仕事でも図れない事、「見えない時間」はあると思います。音楽家の方だと楽器の手入れや温湿度管理、飲食店さんだと来店人数、温度管理、仕入れや仕込み。農家さんだと天候などでしょうか。

自身のお仕事でたとえさせて頂くと。。。

  • 【準備と片付け】ー切る、混ぜる、溶かす、しまう

  • 【乾燥】ー「待つ」絶対必須で失敗回避

  • 【運搬】ーそう簡単に持ち運べない

  • 【環境】ー寒くても暑くてもダメ。温度調整の時間。

制作に限った事ではなく、日常のお仕事や生活の中、それぞれの人生の中にも「見えない時間」がある事を心にとめておきたいものです。

画像
溶かす時間が結構かかるウォーターレリトグラフのシリコン溶液。

【準備】
代表的なものに紙や版の裁断があります。経済寸法の算出や仕入れのタイミング。コピー用紙とは違ってホームセンターでいつでも購入できるものではなく、季節によっては湿度なども考慮しなければなりません。
他にも制作に使う溶液材料の作成も結構な時間とタイミングを図らねばすべてを台無しにしてしまう事も。2,3分で溶けるものもあれば、数時間、数日かけて溶かし、時には撹拌しながら作るものもあります。勿論、しっかり溶けていなければ用もたさず、確実に失敗につながります。
細かな事でいうとウエスの裁断なんかも結構な時間が必要だったり。。。
また、時間だけではなく大きな材料を切り出す際には場所やそのサイズに合う定規なども必要となってきます。

【乾燥】
特にインクの乾燥。これはしっかりと乾燥させなければ、色が混ざってしまったり、前に刷った画面が剝がれたり、版が壊れたりしてしまい工程によっては不十分な乾燥だと大失敗を招きます。完成後、額装する場合も乾燥が不十分だと収縮でマットから作品シートが外れたり、ガラス面が曇ったりします。かといってドライヤーなどで無理に乾燥させると紙の変形、変質などにも影響が出てしまいます。。。季節や環境によってこの乾燥時間は大きく変わり、結構この時間には手をやいてしまいます。

【運搬】
扱う材料・道具は「大きい」、「硬い」、「重い」、「折れる」、「高額」、「危険」なものが多く、その運搬方法や扱いに最善の注意が必要となってきます。そのためにかかってくる時間と経費はなかなか図れません。大きな作品が海を渡る案件には輸送途中で留まったり、時間に加え予期せぬ税金がかけられたりも。大きな木版やリトグラフのアルミ版などは雨の日に運搬すると水濡れや湿度を吸ってしまい最悪、使えなくなった事も実際にありました。満員電車には持ち込みも躊躇しますし、時には版が折れる事も。中途半端に鋭利な刃物や強い有機溶剤の匂い、引火・爆発などのおそれのある材料は公共交通機関には持ち込めないものも多くあり、その際は配達、営業車や自家用車の手配も必要になり、ここにも結構な見えない時間に加え経費が発生します。

【環境】
材料によっては温湿度などの環境で台無しになってしまうものも数多くあります。その代表的なものにインク。私の住む北海道では冬場の室温は6度からマイナス気温になる事もあります。そのためインクが固くなり、冷え切ったインク練り板に出して練っても余計固くなってしまう始末に。かといって柔らかくする添加剤を用いてしまうと他に悪影響も出てしまいます。
混合してつくる液材料では、ほどよい温度の液体に寒い部屋からもってきた液体を混ぜただけで固形物が出来、使用困難になってしまい湯煎しながら使わざるをえません。そんな事もあり、定期的に部屋を暖めないと制作がはかどりません。ストーブで部屋を暖めることは水道管凍結防止にも役立ちますが、反面、木版画用の版木や木で作られた刷毛や桶には大敵で反りや亀裂、隙間が出て壊れてしまいます。拙者のアトリエには加湿器と2カ所に温湿度計を設置して、温まるまでの時間に厚着と手袋をして他の出来る作業を行います。まるで「北の国から」のような時間です。
逆に高温多湿の本州では水張りテープが固まってしまったり、カビの発生、高温でインクがゆるくなり、刷りがうまくいかない事もあるでしょう。

これらの「見えない」、「図れない」時間はどんな業態にもあり、あって当たり前の時間ですが、なかなか理解されない部分で、特に非常勤講師でお世話になっている教育現場では、この準備などにかかる「見えない時間」の理解されなく(就労賃金ではなく、「とりまく環境」)、苦労や残念な思いをすることが毎年、絶えません。

この記事が何かのどなたかのお役にたてると幸いです。